一等
李傥北京市建築設計院 27歳
かつて<いえ>には、日々の生活のうちに生の喜びがあり、死の悲しみがあった。そこでは精神的生活が物質的生活と同等に重んじられ、その表現として儀式が存立していた。儀式は、人間の尊厳を確かめる行為であり、生活の節目となる <ハレ> であり、血縁や地縁を結ぶ絆であった。また床の間の掛軸を季節に合わせて選び、夏には障子をすだれ障子に替え、朝な夕な木部を糠袋で磨くという生活の習慣は、精神性が秘められたものでもあった。しかしそれらの儀式や習慣は、近代化、合理化の目からは排除すべき因習としてしか映らなかった。その裏面に<いえ>を支えていた精神性があるのを見落としていたのである。そしてたしかに生活の近代化は、家事労働を軽減し、物質的豊かさをもたらした。個人中心と家族団らんを二本柱とした近代生活が推奨され、住宅づくりもその路線上で展開された。
その結果、今日、満足すべき住生活が得られているであろうか。総中流意識にみられる表面的満足感の背後に、失われた精神性のつけがしのび寄ってきているのではなかろうか。精神性を疎外した合理化は、家庭内暴力にみられるような家族間のコミュニケーションの断絶となって現れ、物質的充足はさらに物質的不満をもたらすものとして現象してきてはいないだろうか。ヒューマニズムを標榜しながらも精神性を置き忘れた近代的住生活はその根底においてモラトリアム的危機に瀕していることを知らなければならない。
今回の課題「現代の方舟」は、そうした状況のなかで、生活における精神性や儀式性の意味をあらためて考え、一方近代化によって得られた成果も捨て去ることなき現代的意味での<いえ>の再考を求めるものである。「方舟」には、もちろん、旧約聖書の「ノアの方舟」の寓意がこめられている。アダムとイブから数えて10代目のノアの時代に、人間は享楽に走り神を信じなくなった。この堕落した人類を絶滅させるため、神は大洪水を予告し、その命に従い方舟をつくったノアとその家族のみが、諸種の動物とともに救われたのである。因みに「ノア」とは「休息」の意であるという。
何を救わねばならぬか、何が次代に生き残るか、まず十分に考えてもらいたい。安易にコンセプトを設定し、その図画化のみに腐心することなく、課題の意図を超えるまでの思考の深化と展開を望みたい。戸建てか集合か、環境規模、構造などの諸条件は、応募者の意図を表現する必要性に応じて、自由に想定してよい。思想性に富み創造力あふれる応募案が寄せられることを期待している。
審査委員長 | 芦原 義信 | 武蔵野美術大学教授 |
審査委員 | 大高 正人 | 大高建築設計事務所所長 |
審査委員 | 黒川 紀章 | 黒川紀章建築都市設計事務所所長 |
審査委員 | 宮脇 檀 | 宮脇檀建築研究室所長 |
審査委員 | 相田 武文 | 相田武文設計研究所所長 |
審査委員 | 土橋 隆 | 日新工業社長 |