一等
OYAT SHUKUROVXOPA
MIKHEIL MIKADZEXOPA
ブリッジングには、「異なる場所の間に橋を架け、つなぐこと」という意味があります。
川の上に橋が架かると、そこには人やものの行き来が生まれます。
近年では、異なるネットワーク同士をつなげて構築することを、ブリッジングといったりもします。
つまり、ブリッジ=つなぐことで、それまでなかったことが起こるようになるのです。ブリッジングは、ギャップや断絶を越えて、異なる性質のものとつながることができる概念です。
では、建築がブリッジングの役割を果たせるとしたら、どのようなあり方があるのでしょうか。建築は、何と何をつなぐことができるのでしょうか。
つなぐことから建築を考えてみてください。
みなさんの「Bridging/つなぐ建築」の提案を広くお待ちしています。
ŽILVINAS STASIULEVIČIUSVilnius Gediminas Technical University Faculty of Architecture
ŽYGINTAS STASIULEVIČIUSフリーランス
審査委員長 | 六鹿正治 | 日本設計取締役会長 |
審査委員 | 北山 恒 | 法政大学教授、architecture WORKSHOP主宰 |
審査委員 | 山梨 知彦 | 日建設計 常務執行役員 設計部門副統括 |
審査委員 | 乾 久美子 | 横浜国立大学大学院Y-GSA教授、 乾久美子建築設計事務所主宰 |
審査委員 | 長谷川 豪 | ハーバード大学デザイン大学院(GSD)客員教授、 長谷川豪建築設計事務所代表 |
審査委員 | 相臺 公豊 | 日新工業代表取締役社長 |
世界は分断され,孤立化していくように見える.アーキテクチャーの動作は,自然環境から人工環境を切り取るものだ.壁一枚立てることで,互いを切り離す.また,アーティキュレーションという作法で,機能のまとまりによって空間を切り刻む.さらに上位から見れば,私たちが住む都市は,プライバシーという環境を切断する性能を求める商品によって埋め尽くされ,切り刻まれている.こう考えると「Bridging/つなぐ建築」というテーマは,壁によって空間を定位させるという建築の本来的行為から相反するのかもしれない.
図面を読み込んでいる時は,評価の基準が作品によって自在に動き回るため,審査の途中,目眩がするような感覚があった.さらに,読み込む中で,次第に,私の脳の中で作品群のマップができ,そこで初めて,課題に対応した世界を理解することができた.それは,これまでの建築概念が切り刻んできたモノや意識を反転する空間概念が求められているのだ.その意味で,大庭・木下案(2等)は圧巻である.ノアの箱舟のように世界をすべて抱え込むように動植物と人間の行為が曼陀羅のように描かれる.これとは対比的に,藤巻案(佳作)は私的な感受性の中で,建築と自然を合一する.植松・徳永案(佳作)は砂防ダムというエッジをフィルターに置き換えることで,切断しながらつなぐという止揚をものにしていた.ここまでは伝達可能なイメージだ.
1等になったSHUKUROV・MIKADZE案は,私には最後まで理解できなかった.魅力あるドローイング.コラージュ・シティのようなイメージはとても惹かれるが,何をつないでいるのであろうか.それは読み手の想像に委ねられているのであろうか.または,作者の意図と読み手の意識がドローイングによってつながるということなのだろうか.
今回の「ブリッジング」という課題に対して,多くの応募案はベタな提案からは距離を取り,ひねった解釈をした傾向が見られたように思う.その結果,「Bridging/つなぐ建築」に何をもって答えようとしているのかを一目で理解できる作品は少なく,読み取りに時間を要した.正直を言えば,他の審査委員の意見をこれほど参考にしたのは初めてのような気がしたほど,僕自身の審査は難航した.
まず,アイデアコンペらしい國清・中村案が目に留まったが,確信を持って読み取れなかったため上位に推すことができず,3等に留まる結果となった.次に,陸から海へと連なる素直な案でありながら,一風変わったベタなプレゼンでまとめられた大庭・木下案に目が留まった.敷地をよく知るローカルアーキテクトによるものかと思いつつ(実は日本人による提案であったのだが)推したが,突き抜けた何かを読み取ることができず,2等の壁を超えることはできなかった.
こんな状況の中,SHUKUROV・MIKADZE案の,記憶の中にある建築へと橋渡しするような幻想的なドローイングが僕らの心をとらえ始めた.さらには,1970年代から80年代にかけて日本で開催されたアイデアコンペを席捲した旧ソビエト圏のそれを彷彿とさせるドローイングは,建築を学び始めアイデアコンペに挑戦し始めたころの記憶の中へと僕らを架橋する不思議さも内包していた.この読みがどこまで提案者の企図を正しくつかんだものであるか知るすべはなかったが,われわれは魅了され,この案を1等とした.
今年も,1等は外国勢からのものであった.
SHUKUROV・MIKADZE案は謎めいた作品だった.精緻なドローイングを説明するのはタイトルのテキストと,左上にある配置概念図だけ.おそらく,旅行かなにかで出会った建築や風景を記憶を頼りに再構成するというもので,現代版ハドリアヌス帝のヴィラといったところか.タイトルによると記憶によるものであると説明があり,スケールが自在に伸び縮みしていることに納得する.しかも,ふたりのアーキテクトの共同作業であるということも読み取れた.過去と現在,さまざまな地域の建築,そこにある環境と移植される建築,他人同士をブリッジングしようというもので,今回の応募作品の中で最も多義的であった.これが総体としてどのような建築空間になっているかをもう少し説明すべきと感じたが,情報を欠落させて他人の想像力に任せるのも,作者と見る側の間のブリッジングなのではないかという気もした.ただ,やはり,どういう場所なのかはもっと知りたいのは正直なところ.
以下,気になったものについて感想である.大庭・木下案(2等)は海外からの応募だと審査委員一同誤解した.内容もさることながら,プレゼンテーションの雰囲気まですべてが東南アジアの学生のもののようである.不思議な時代になってきたなという印象.藤巻案(佳作)はよりしろの問題を取り扱っている.さまざまもののよりしろとして建築を捉えた時,建築がどのように変わるかということの検討で,興味深い提案であったが造形に説得力が足りていない.植松・徳永案(佳作)はもっともクリアな提案であったが,ディテールがなく1等になるには内容が足りていない.反対に,徐・章・王案(佳作)はディテールが充実していて誠実な提案であった.
見事1等を勝ち取ったSHUKUROV・MIKADZE案は最初から惹かれた案だった.作者の脳裏に焼きついた断片的な建築や空間のイメージだけで構成された村,いわば「記憶の村」がミステリアスなドローイングで表現されていた.さまざまなスケールの断片化されたイメージが同列に並ぶ.建築をやっている人間の頭の中には,多かれ少なかれ,このような「記憶の村」があるのではないか.そう思わされた.テーマに対して「物理的なつながり」を扱う案が大多数を占める中,新鮮且つとても建築的な案だと思われた.
さて日新工業のコンペの審査委員をやらせていただき5年目になる.ここ数年は海外からの応募者が急激に増え,昨年と今年の1等は海外からの応募作品となった.これは大きな転換期ではないかと感じている.戦後日本の建築家は主に西欧から学びながら,自分たちのアイデンティティを問い直し日本の近代建築なるものをつくった.そして今や日本は現代建築で世界をリードする国だと言われるようになった.海外では,若い建築家や学生が日本の現代建築に強い関心を示し,日本の建築家から強い影響を受けているとよく耳にする.状況は完全に逆転して,言ってみれば,追われる立場になっている.しかし日本の若い人たちを見ていると,そのことに対する危機感はあまり感じられない気がする.戦後の日本とは全く違うかたちで,世界と切磋琢磨していく時代がすでに始まっていて,このことが日新工業のコンペにも明確に現れ始めている.
六鹿正治
ブリッジングには、「異なる場所の間に橋を架け、つなぐこと」という意味があります。
川の上に橋が架かると、そこには人やものの行き来が生まれます。
近年では、異なるネットワーク同士をつなげて構築することを、ブリッジングといったりもします。
つまり、ブリッジ=つなぐことで、それまでなかったことが起こるようになるのです。ブリッジングは、ギャップや断絶を越えて、異なる性質のものとつながることができる概念です。
では、建築がブリッジングの役割を果たせるとしたら、どのようなあり方があるのでしょうか。建築は、何と何をつなぐことができるのでしょうか。
つなぐことから建築を考えてみてください。
みなさんの「Bridging/つなぐ建築」の提案を広くお待ちしています。